発達障害グレーな文字書き屋さん

不器用なりの幸せな生き方を探る旅

ヒロシキャンプに癒されるHSPな私

情報過多ですぐに頭がパンクするグレーキャット、本日何本目かの投稿です。
思い浮かんだ時に記してしまわないと逃げてしまうので、心がHOTなうちに投稿したいと思って書いています。


(急に”ですます”になっているのは気分なので許してください)


ヒロシさんのソロキャンプの動画を見るのが好きです。
キャンプがしたいとか、山へ行きたいというのも多少あるのですが、なぜかあの動画を見ていると安心してうっとり眠くなるのです。


「気取らない」「媚びない」
「押し付けない」「急がない」
「楽しんでる」


こういった情報が動画の中から伝わってくるんですよね。
私が今心から望んでいる環境なんでしょう。


文字書き屋として10年以上やってきましたが。
現在、「媚びなきゃ売れない」「書きたくないテーマでも書かなくちゃ」「しんどいけど前向きなことしか言えない」の環境に呼吸ができないほど苦しくなっています。


そんな中でヒロシさんなわけです。


自分スタイルで媚びない。
軸があってブレない。
それでも大勢の人が求めているものを掴んで発信している。


素晴らしいなって思います。
私も「ブレないスタイルで書き物をしたい」という欲望はまだまだ捨てられないようです。
それが「何」なのかはまだ見つかっていません。
少なくとも今書いているジャンルは違うのかもしれません。
ダメ出しのメールが怖くて心臓が弱っているなんて、向いてるものとは思えないですから(笑)。


それでも天から授かった唯一の才能と言ってもいいものなので、文章を書くことを捨てたくはありません。
何か私らしい「呼吸をするように書けるもの」を書きたいなと思っています。
このブログを書くのも気取ってしまったらきっと苦しくなるでしょう。
なので、色々とっ散らかってますが、そんな自分を許しながら投稿していこうと思います。


読ませていただいているブログも、本音で書かれているものには心打たれますので。


右往左往なグレーキャットですが、これからもどうぞよろしくお願いします。

トラウマ克服、トライアンドエラー

私は、基本的にネガティブである。


なぜかと考えると、やはり自分を認められるものが外にないと不安なのが原因だろうと考えられる。


「私は生きているだけで価値がある」


そう無意識下で思える人は、多分何かに成功しなくても満足して生きているんじゃないだろうか。


私は存在を愛されていると感じたことが少なかったのかもしれない。
強烈に虐待を受けていたということでもないし、充分お金をかけてもらって、大人にしてもらったという感謝はある。
ただ、私がいるだけで家族が幸せそうだと感じたことはなかった。
逆に「親に恥をかかせてはいけない」と、必死だった記憶ばかりが残っている。


結婚後に持った今の家族にはそれを感じるが、幼少期のそれが最も必要だった時期にもらえなかった歪みはなかなかに深いものがある。
個人差もあるし、同じ体験をしていてもそれがトラウマにならない人も大勢いると思う。
それでも私が今、心身で感じている苦しさは、紛れもない事実で。
それは年齢を重ねるごとにリアルに体感できるようになってしまった。


今、このトラウマ感覚を払拭するのにトライしているのは3つ。


・岩盤ヨガ
・温泉通い
・ハーブティー


岩盤ヨガは、ホットヨガよりもいい。血流が回り、身体が温まると同時に心も穏やかにしてくれる。言葉にしきれないストレスを発散してくれる。
同じ理由で温泉に通うこともとてもいい巡りを与えてくれる。
(行かない日が続くと不調になるので、地味でも行く効果はあるんじゃないかな)


ハーブティーはPMDD予防に飲んでいるが、チェストベリーはとても合っているようだ。
悪夢などを見る回数が減ったような??
コーヒー大好き人間だが、飲み過ぎはよくないみたいなので時々ハーブティーに変換して交互に飲んでいる。


これに加え、もう2つほどアプローチが必要かなと感じている。


・仕事の軽減(ストレス軽減)
・食事から脳へのアプローチ


とあるブログで紹介されていた「食べてうつ抜け」を読み始めている。
主婦の友社から出版されているものだ。
糖質過多やビタミン不足などが脳を傷つけるのはぼんやり知っていたが、ちゃんと取り組むことができていなかった。


これからの生活では仕事を軽減することで時間を作り、その中で食事の見直しなどをしてこれからの人生がプラスになるように生きていきたいと思っている。


効果が出たら、またこのブログで紹介したいなと思っている。
器用ではないので、とりあえず「トライアンドエラー」で、やっていくしかないのかな。
いずれその先に答えは待っているかもしれないし。


心地いい人生を手に入れられる可能性がある限り、トライは続けていこう。

憑依体質

もしかして自分の過去を遡ったら、「イタコ」とか「巫女」だったんじゃないかと思うことがある。


自分のマインドからはとても出てこないようなセリフが、ある条件を満たすとポンポンと出てくることがある。


シナリオライター の仕事をはじめて、キャラクターを乗り移らせながら書くのが当たり前になっているので職業病なのかもしれないが。


夫から聞いた会社の人の情報を、私は毎日インプットしていて。
なので、会社の人に会ったことはないけれど「こんな人だろうな」とキャラクターがだいたい頭に入る。
なので愚痴を聞いているときに「こう思ってるんじゃないかな」「こうなんじゃないかな」というセリフが何か確証を持って出てきたりする。
そうすると夫は驚いて「会ったこともないのによくわかるね」と言うのだ。


どうやら遠からず当たっているらしい。


昔の自分ではそれはなかったけれど、周囲の空気やら声質やら表情やら。
そういうのから、だいたい相手の性格や余裕のあるなし、攻撃的、受動的、そういうのがわかるようになっている。


便利な時もあるけれど、無闇に人と関わるのが怖いと思うようにもなってしまった。
年齢を重ねると共に「合わないものに合わせる」という気力が減退しているようだ。


やはり、これからは心穏やかに過ごせる場所と人間関係を大事にしていきたい。
派手派手しい生活なんて要らない。
健康と家族の笑顔があれば最高に幸せだと思う。

やられたらやり返す…は、向いてない

半沢直樹の名台詞ではあるが、私にとって「目には目を」というのは向いてない。


恨み言を自分の中に抱え、ずっと対象者を責め続けるのは、結果的に自分を苦しめることになる。


これはこれまで自分の過去をずっと振り返ってきたからこそ実感するものだ。


今は「やられたら反応しない」「やった相手から遠ざかる」のが最も良い手段だと思っている。自分に悪影響を与える人や環境は、どんなに改心を求めても正直無駄になる事が多い。
自分がどれだけ辛かったか訴えてもピンとこないからこそ、酷いことを言ったりやったりできるわけで。


なので、ヨガの呼吸と同じように「要らないものは吐き出す」ことに集中するのがいい。
自然と必要なものが入ってくる。
だから執着から離れる。手離す。
これが大事だなと最近つくづく思う。


執着って、すればするほど苦しいし相手は離れていく。
磁石のSとS、NとN、みたいに、どうしたって引力が逆に向いていることだってあるわけだ。


こんな風に語ってしまうのは、昨日長く苦しんできた受注先に「暇乞い」をしたからだ。


低賃金で足元を見られ、不当な労働を強いられる。
「修行」と称してやってきた事が、なんの実りもない事がわかったので、手離す決意をしたわけだ。


朝から肩が軽い。何か呪いから解放されたような、そんな感じ。
お金のために魂を売るのは有益ではない。
命を失っては仕事もできないわけで。
残った微々たる仕事を頑張りつつ、別の仕事をまた見つければいいと思っている。



『甘い汁を内包しているが自分を苦しめる存在』


これを手離すのはとても勇気が必要だと思う。
でもどこかで「それは本当に一生自分の糧になるのか、自分の喜びに役立っているのか」そういうのを問いかけ続ければ自然に答えは出ると思う。


仕事には責任を持って取り組むけど、自分が貶められていると感じる対象は決してプラスなものではないと思うこの頃である。

受身型アスペルガーというのがあるらしい

キンドルで見つけた電子書籍「受身型アスペルガーの10の特徴」というのが衝撃的だった。発達障害専門のカウンセラーをやっている脇田僚太さんが出されている本。
(ご自分で出版されたのかな……文字が揃っていない部分があったので)


少し読みにくい点はあったけれど、内容はかなり「あるある」だったので驚いた。


アスペルガーの方は「空気が読めない」が代名詞みたいになっているが、この方の体験から「空気の読めるアスペルガーもいる」との感覚が強いみたいだ。
そもそも空気が読める読めないが問題なのではなく、対人関係において「相手との距離をうまく取れない」というのが問題だと言われて「確かに」と思った。


アスペルガーの特徴は色々当てはまるけれど、相当に空気を読もうと頑張っている私としては「なるほどね!」という感じで救いになった。
自分よりに境界線を引きすぎるせいで、相手に領地を与えすぎる。
だから狭い感じがして息苦しい感じがして、きつい。
その繰り返しになるから「人間関係辛い」となって、結局慣れた人とだけ付き合うようになる。


まさに今の私。
そしてこれからもその問題は続く。
解決策としては、「相手の領地だと思っていた部分も自分の領地である可能性がある」ことを意識に置いて、気分の悪い人との関わりは減らすのが得策だし親しくなりたい人に対してはちゃんと「ここいいですか?」と尋ねる習慣をつけることかなと思った。


何も言わずに察してくれというのは、私も無理だし相手も無理だろう。


深く考えてしまうのは癖だからどうしようもないけど、心地よく過ごすために人間との距離を程よくとる訓練は地味にやるのがいいなと思った。