発達障害グレーな文字書き屋さん

不器用なりの幸せな生き方を探る旅

価値観をシフトすると風景が変わる

お久しぶりの投稿になります。
ここ数週間で色々と価値観や感じる風景が変わったので、記しておこうと思います。


このブログを書き始めた時、「同じような状況にいる人のヒントになるようなブログを書きたい」と思ったのは覚えています。
ただ、その時は今ほど穏やかな気持ちではなく、相手にされなくなった世界で惨めな気持ちを抱えながらもがいていました。


だから記事を読み返しても、どこか苦しい気持ちが滲み出ているように思います。


その気持ちが変化したのは、「今の仕事を降りよう」という気持ちになったことと、「住む環境が変化することになった」……という2つのことが理由です。


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私はずっと男女の恋愛をテーマにした女性向けの小説とシナリオを書いてきました。
でも、アラフィフになり、どうにも「恋愛だけ」には興味が持てなくなり、もともとそんなに人気もなかったのもあってここ数年で市場価値が底辺になってしまったのです。


その「必要とされない世界」に執着するのは、とても苦しくて惨めでした。


そんな時、子どもの進学の関係で海沿いの街に引っ越さなくてはならない状態になりました。
引っ越しは苦手なのですが、その海沿いの街は私を確実に癒してくれるという直感が働きました。
慢性化していた頭痛がその場所へ行くとなくなり、呼吸が深くなるのを感じたのです。


そのころの私は、崖っぷちだった仕事が苦しくて、焦燥感とイライラが止まらなくなっていました。
更年期障害は始まっていましたが、気が狂いそうなほどの焦燥感は明らかにストレスがマックスを超えたせいだと思います。
その不調がきっかけで、仕事を思い切って手放すことを決意しました。
私が命懸けで仕事を続けても、そこで得られる報酬は「薬代」「整体代」「ヨガ代」など、自分をケアするもので消えていくのです。
なんのための仕事か……。
少なくとも自分と家族の生活を心から豊かにするものではないなという感覚になりました。


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そんな経緯があって、今の仕事をゆくゆくは引退しようと決意するところまできました。
仕事をやめると決意して数週間で、だいぶ調子が戻りました。
(プラスアルファで、漢方薬とヨガのおかげもあります)


私を苦しめていたのは「自分を精神的に貶める環境」だったように思います。


私が潰れたって困るのは家族だけです。
仕事の関係者は、代わりの人を探せばいいだけなのです。


私が存在している意味は「安く執筆を引き受けてくれる便利なライター」ということだけなので。(悲しいけどそれが真実)


それを考えた時、「ああ、今の仕事は自分の心と命を削ってするものではない」と思いました。
私の「物語を執筆する仕事への執着」が私を追い込んでいたのです。
自分が他の人よりも劣っていると感じてきたコンプレックスがあったので、「小説を書くことを仕事にしている自分」が消えてしまうのが怖かったんでしょう。


でも、それを手放したって私は私です。
何も価値は変わらないし、もし変わるとしてもそれは「周りから見た私」です。


私自身が「小説を書いていなくても私は私だ」「もし二度と書けなくても、それで自分の価値が下がったりはしない」と信じるだけでいいわけです。


理屈でわかっていても、実感するのには時間がかかりました。
ただ、焦燥感でおかしくなりそうになった時、「自分を大切にしていない」ことに心の底から気づいたんです。
私を守ろうとする自身のセイフティが働いたのかもしれないですね。


私を攻撃するのも私だった。



私を守ろうとするのも私だった。


つまり、「自分をどう扱うかは自分次第」なのは間違い無いなというのが今の私の結論です。


自分を大切にすると何が変わるかというと、自分の心身の健康面はもちろんのこと、自分が側にいたいと感じる人の種類が変わります。


なので、自分に直接影響を与える人が変化していくわけです。


すると自分の内面が変化し、変化した自分を見る周りの反応も変わるんです。


まだ決意をしてから1ヶ月かそこらですけど、その変化は感じています。
これからも「自分を大切」にしながら、「丁寧に感謝して生きる」ことをベースにゆっくり生きていきたいです。


なんでも「当たり前」ではないので、意識すればいつだって感謝の気持ちは湧いてくるなと感じます。
でも、それに気付くには「ゆとりを持つ」必要があるなとも思います。


特別な人がそうなるわけでなく


人間はどんな立場の人も、どんな環境の人も


自分軸で生きることで


世界にただ一人の自分を感じられるんじゃないかな…と思います。