発達障害グレーな文字書き屋さん

不器用なりの幸せな生き方を探る旅

生きづらい人へのエール

私にとって最もやってはいけないこと。


それは「自己表現を妨げることをしてはいけない」ということ。
つまり「自分らしさを否定して生きてはいけない」ということだ。


元々、私は20代でパニック障害を発症させ、その後に産後うつなども経験している。
もやっとしていた不快感が表に症状となって出たのだと思う。


その結果、自分が「定形の人とは違う」ことを嫌でも知るようになる。


「一般的に」「常識的に」「普通は」という言葉が大嫌いになり、色々自分を束縛してくるものを避けるようになっていった。


なのに、結果的に選んだ自宅での仕事は、自由だった私の表現を恐ろしく縛りつけるものだった。
お金になる仕事ほど、自分らしい表現を許さない。
なぜなら、そこには「大衆が共感しなければならない」というルールがあるからだ。
だからその世界で量産できている人は「職人だな」と感じている。
皆が喜ぶものを察知し、それを適切な表現で大量に排出できるというのは職人だと思う。
もちろんこれは一つの才能だし、それに恵まれていれば私もそうしただろう。


ただ、私は職人にはなれなかった。
かなり修行は積んだつもりだが、どうしても「マニュアル化された文章」を書くのが苦痛で息ができなくなった。


私は普段、「ほとんどの人があまり考えないこと」をよく考えている。
だから文字で表現することができても、それは誰もが共感するような代物ではないのだ。


残念ながら、私はお金になるような作品はこの先書いていくことはできないかもしれない。
私という個性が稀であれば稀であるほど、共感されないものだろうから。
でも、メンタルギリギリまで追い詰められて悟るものがあった。


「自分の個性を否定するものに従属する必要はない」


これははっきり言える。
なぜなら、自己否定を突き詰めすぎると生きていることが難しくなるからだ。
これはここ数年苦しんできた末の結論だ。


体調がおかしくなり、じわじわとせめぎよる心の不調も増大していく。
先を考えたら、今の症状を改善させるには生き方(&考え方)を変えるしかない。


どんなに社会と適合できていなくても、どんなにうまくいかないことがあっても。


『あたなは尊重されるべき、オリジナルでユニークな個性と魂を持った、大切な人』


これを生きづらいと感じている人全てに感じてもらいたいなと思う。
もちろん私も心にこれを留めておきたい。


社会通念は大勢の人間をまとめるのに必要なことかもしれない。
でもそこに属せない感覚を排除するのは暴力だとも思う。


誰かの自己満足のために。
誰かのマウンティングのために生きているわけじゃない。


稼ぎにならない人間だからといって否定されるべきじゃない。


(”べき”と言う言葉はあまり使いたくないのだが、それは強く感じるので今回は使わせていただく)


頑張って生まれてきた自分を褒めて生かしてあげよう。


一人でも味方がいてくれたなら、その人を大切な宝物として大事にしていこう。


これは私へのエールでもあるので、力強く記しておきたい。