発達障害グレーな文字書き屋さん

不器用なりの幸せな生き方を探る旅

やられたらやり返す…は、向いてない

半沢直樹の名台詞ではあるが、私にとって「目には目を」というのは向いてない。


恨み言を自分の中に抱え、ずっと対象者を責め続けるのは、結果的に自分を苦しめることになる。


これはこれまで自分の過去をずっと振り返ってきたからこそ実感するものだ。


今は「やられたら反応しない」「やった相手から遠ざかる」のが最も良い手段だと思っている。自分に悪影響を与える人や環境は、どんなに改心を求めても正直無駄になる事が多い。
自分がどれだけ辛かったか訴えてもピンとこないからこそ、酷いことを言ったりやったりできるわけで。


なので、ヨガの呼吸と同じように「要らないものは吐き出す」ことに集中するのがいい。
自然と必要なものが入ってくる。
だから執着から離れる。手離す。
これが大事だなと最近つくづく思う。


執着って、すればするほど苦しいし相手は離れていく。
磁石のSとS、NとN、みたいに、どうしたって引力が逆に向いていることだってあるわけだ。


こんな風に語ってしまうのは、昨日長く苦しんできた受注先に「暇乞い」をしたからだ。


低賃金で足元を見られ、不当な労働を強いられる。
「修行」と称してやってきた事が、なんの実りもない事がわかったので、手離す決意をしたわけだ。


朝から肩が軽い。何か呪いから解放されたような、そんな感じ。
お金のために魂を売るのは有益ではない。
命を失っては仕事もできないわけで。
残った微々たる仕事を頑張りつつ、別の仕事をまた見つければいいと思っている。



『甘い汁を内包しているが自分を苦しめる存在』


これを手離すのはとても勇気が必要だと思う。
でもどこかで「それは本当に一生自分の糧になるのか、自分の喜びに役立っているのか」そういうのを問いかけ続ければ自然に答えは出ると思う。


仕事には責任を持って取り組むけど、自分が貶められていると感じる対象は決してプラスなものではないと思うこの頃である。