発達障害グレーな文字書き屋さん

不器用なりの幸せな生き方を探る旅

五感を大切に

発達障害的、もしくはHSP的な素養を持った人は、五感が鋭い場合が多いようだ。
感情を論理的に操作するよりも、五感でキャッチしたことを体感するのが早いと言うべきか。
だから自分が受けている影響を正確に認識することが難しいように思う。


嫌な思いをしても、それが体に症状となって現れない限り気づけないこともあるだろう。


私の場合、幼少期に転校したことのストレスで免疫疾患を呼んだし、自分の心からのサインを無視した影響で20代半ばにはパニック障害を引き起こした。
そこからはもう2次障害のオンパレードで、体が必死に「もう限界だよ!」とサインを送っていたんだと思う。


先日もいろんな情報が錯綜し、頭が混乱してパニックを引き起こした。


「息子の受験」+「それに伴う引越し」+「仕事だったはずの夫が明日は休日」+「迫っている仕事の締め切り」+「その割に仕事は大した需要もなく報われない」こんな感じに情報と被害妄想が整理できなくなってパニックになった。
外からいくら「落ち着いて」「大丈夫だから」と言葉で言われても、この「予想できない不安」「予定していたことが変更になるパニック」に陥ると、感情ではコントロール不能になる。


なので有効なことを考えてみた。


今日実践したのは「ルームランナーに乗る」「部屋をある程度片付ける」「目に入るもので煩いものを塞ぐ」「香りは好きなものにする」という感じで調整してみた。


結果、汗をかいて鼓動の速さはやや落ち着き、布やぬいぐるみで癒し空間を作ることで目からの情報が和らぎ、コーヒーを淹れることでこの記事を書こうというところまで戻ってきた。


普段は外に出て喫茶店に入ることで上記の条件をクリアするのだが、今日は事情があって外に出ることができなかったので別の行動をしてみた。
結果的にはだいぶ落ち着いたので、まあまあ効果があったと思われる。


整理整頓は誰のためでもなく自分のためにやるのだと改めて悟った次第だ。
あと、付け加えて気づいたことといえば。
引越しは「息子のためにやる」のではなく「自分も心地よくなるためにやる」と捉えることで「義務感」から開放されるのがわかった。


一般に子どもを産んだら「責任」という名のもとにいろんなものが封じられる傾向にあるが、実は「子育て」と「親の欲求を封印する」ことは全然無関係なのだとわかる。
むしろ親が「お前のために我慢をしている」という空気を出すと、子どもはプレッシャーを感じて息苦しくなり、妙な罪悪感を植え付けられるのではないだろうか。


難しいことはない。


子どもを持っていても自分の幸せな環境を追求することは、結果的にその人を囲む全員の幸せに繋がるということだ。


子どもがいても、いなくても、それぞれが個々の幸せを追求することが、最終的に地球上の「気」を柔らかくし、生きやすい世界になっていくんじゃないかと思う。


(こんな風に思考を”世界”規模に広げるあたりはHSPだなぁと思う)